何書こうかしら?

自分らしく・・ ・

「自分らしく」なんて
才能の無い人が使う言葉だと思う。

教員になって一年。
今、私がよく使ってる言葉が「自分らしく」

この言葉を心の中で唱え出したのが、
新しい学校に着任してすぐのこと。

なにせ、周りが優秀すぎて、
周りと張り合おうとか
チームになって一緒にやろうとかすると
自分の能力の無さが身に染みて
つらくなる。

そのときに思ったのが「自分らしく」

これを唱えたら
自分の能力の無さがなんだか
オブラートに包めたような気がした。

特に優秀なのが、若い先生たち。
頭の良さに加えて
やる気も高いし、
周りとのコミュニケーション能力が半端ない。

巷で言われてる「教員なんて・・・」という
教員を蔑む言葉が似合わない
出来た人たちばかり。

「もうこんなおばちゃん新人先生なんていらないな」なんて思ったときに出てきたのが「自分らしく」

「私には子育て経験があるし!自分らしく!」
「私には他業種の経験があるし!自分らしく!」
のように、
今の自分の能力を磨こうともせず、
教えてもらおうともせず、
怠慢と戦おうともせず、
「自分らしく」なんて言葉で
自分を甘やかしています。

こんな教員が生徒にとって魅力的に映るわけがありませんよね。

41歳、新人教師。

10月5日は教員採用試験の合格発表日だった。

 

合格だった。

 

大学卒業後から毎年受け続けたが、ずっと不合格だったのに、今、合格した。

受験回数はおそらく8回。

途中、受験し続ける気力が失われてしまった年と出産、育児で受験しなかった年もあった。

 

でも講師を続けながら受験を続けてきた。

 

今夏に試験があった。

それに向けて勉強し始めたのが、昨年の12月。

1歳と4歳の子育てをしながらの勉強で、もちろんまとまった時間は取れるわけもなく、

隙間時間を見つけての勉強だった。

 

そんなわけで、効率よく勉強を得点に結びつけなければならず、今年は教育時事と自分の教科(音楽)の筆記試験の勉強を中心にすることにした。

 

教育時事で役立つのが試験対策用の月刊誌だ。

私は「教員養成セミナー」を毎月買って、最低2回は目を通し練習問題を解いた。

その中でも「新学習指導要領」は重点的にチェックした。

 

音楽はとにかく問題集を解きながら、その中で疑問に感じた部分は他の資料も使って深めるようにした。

 

その二つが今回の合格を引き寄せたかはわからない。

でももうひとつ意識して準備したものがある。

それは面接だ。

 

私が受験した石川県では、筆記実技試験が終わってから面接まで2週間ある。

その間、机に向かえない時も、例えば炊事をしたり掃除をしたり、おっぱいをあげたり……家事育児をしながら、頭の中で面接でされそうな質問とその答えをシミュレーションした。

 

それと、就職面接関連の本をいくつも読んだ。

面接の本なら何でもいいわけではなく、「転職面接」や「30代、40代のための~」とタイトルにあるものを選んだ。

これらの本を読むことで、大学を卒業したばかりの若い人とは違う受け答えが私には必要だと思い知ったことが良かった。

今までの面接では「教員になりたい情熱押し」で挑んでいたが、今回はそこに「講師としての経験や人生経験の豊さ」加えたてアピールできた。

それが良かったように思う。

 

41歳新人教師としての生活が4月から始まる。

その数ヶ月前からは20代の若い人たちと一緒に研修も。

たぶんかなり浮いてしまうと思うのですが、それも楽しみながら、時には自虐ネタなんかも披露してがんばっていけたらと思う。

 

 

同じ無観客でも…

彼と出会ったのは……厳密に言うなら、彼の声と出会ったのは、今から25年ぐらい前になる。

ラジオから流れてきたその声を聞いた時、大きな衝撃を受けた。

 

男性のようで女性のようでもある。

力強く攻撃的なようで優しい。

 

とにかくびっくりした。

自分が歌を勉強し始めた頃とも重なって、「こんな声、どうしたら出せるの?」と尊敬の気持ちもあった。

 

その声の持ち主は

X JAPANのToshIさん。

 

それからX JAPANをずっと聴くようになった。(当時はX)

ピアノが弾けたので、YOSHIKIのパートを弾きながら、ToshIのパートを歌うのは至福の時だった。

 

でもあんなに素晴らしい声は誰にでも出せるわけはない。

 

美空ひばり宇多田ヒカルの声には普通の人よりも、アルファー波という聴く人をリラックスさせる波動が多いらしい。

 

私はToshIの声も、聴く人に特別な何かを感じさせる力があると思う。

 

それとあの憂いに満ちた表現力は、ただ自分の人生を惰性で生きてる人間には出せないものだ。

たぶん彼が小さな頃から、感受性豊かにいろんなものを見聞きし経験してきたから、深みのある表現が可能なんだと思う。

(Xの解散後、ちょっとおかしなことになっていた彼の言動も、その豊かな感受性のせいだったに違いない)

 

私なんかは日本歌曲やオペラで愛の歌をうたっても、いつも「なんか伝わらない。恋愛経験が乏しいからかしら」なんて言われて恥ずかしい想いをしている。

 

彼の素晴らしさはそれだけではない。

 

それは昔の声を維持し続けていること。

 

鍛練を怠り年月を重ねたせいで声が出なくなっていく歌手や、声が低くなってしまい昔の自分の曲をキーを下げてでないと歌えなくなってしまった歌手を山ほど知っている。

 

それに比べて彼の声は衰えていない。

年齢を重ねたことによるエネルギー不足は多少あっても、声自体は変わってないと思う。

たぶんキーもそのままのようだし、声量も前と同じような感じがする。

昔と変わらない声を維持することの大変さは私も少しわかっているつもりだ。

 

天性の声、感受性、表現力……

いろんなものが特別な彼だが、最も特別なのはその声を維持していること。

 

きっと相当な努力を陰でしていると思う。

もしそうでなかったら

素晴らしい声とともに、その素晴らしさを失わない特別な力も授けられたスペシャルな人なんだろう。

 

9月30日に彼らが行ったという無観客ライヴのニュースを見た。

彼ららしいと思った。

でもギャラなどのお金のこともあるのかなとまたひねくれて考えてしまった。

それにしてもあのライヴの様子は奏者のはしくれの私としては頭が下がる。

 

私も昔、事務所のキャスティングミスが原因で、無観客で歌ったことがある。

(もちろんそこにはギャラが大きく関わっていたのだが…)

私は「誰も聞いてないからいいか」と、勝手に歌詞を変えたり、声をセーブしたり、ところどころ歌わなかったりした。

 

無観客でも全力でパフォーマンスしたX JAPANとはすごい違いだ。

 

 

 

 

語りかけ育児について

「まだ言語を獲得していない乳幼児にも積極的に語りかけましょう」

母子手帳にも書いてあるし、出産時に助産師にも指導されたような気がする。

 

でも私は意識しての「語りかけ」はしてこなかった。

前述したように読み聞かせはすごく積極的に行ってきたが、語りかけは意識してしよう!なんて感じではしてこなかった。

 

一緒に綺麗な景色を見たら「きれいだね」とか、美味しいものを食べたら「美味しいね」ぐらいは言うけど、無理に言うことを探してこどもにしゃべりまくるようなことはしなかった。

 

育児書には語りかけることが言語の発達に不可欠だと書いてある。

でもそれを見て「語りかけしなきゃ!語りかけ、語りかけ…」なんて呪縛のように思い込んだ母親が多いような気がする。

 

先日も保育園の玄関でそんな母親を見つけた。

一歳ぐらいの男の子を抱えて、3歳ぐらいの男の子に靴を履かそうとしている。

「○○ちゃん、靴を履きなさい」「□□ちゃん、お兄ちゃんが靴を履くの見ててね」と始まった。

ここまではいいだろう。

お兄ちゃんに指示して、そのできた様子を弟に見せる。

すごく良い取り組みだ。

 

そこで黙って、お兄ちゃんが靴を履くのを弟と見ながら待てばよかった。

でも母親は続けてしゃべる。

 

「ほら、○○ちゃんの靴、かっこいいね」

「あ、□□ちゃんも靴履いてくれば良かったね」

「いつも今日みたいに自分で靴履いてくれるといいんだけど…」

「あー重い。早く履いてー」

「遠足の時もそんなに遅いと置いていかれるよ」………… 

まだその母親はしゃべり続けてたけど、私は玄関を後にした。

私の娘が靴を履き終えたので。

 

私の娘もマイペースで玄関ですごく時間がかかるので、よくしゃべるこの母親を少しの間観察することができた。

 

こういう語りかけはこどもにとって有害とまでは言えないにしても、かなり悪影響だと思う。

 

この親子で説明すると、この母親ではこどもが自分自身で何かを感じる時間が無い。

こどもはせっかく靴を履くことに集中してたのに、次には靴そのもの、次には弟の靴、次は靴を早く履くこと、次は遠足……と次から次へと視点を変えないといけない。

これでは集中力が高いこの時期のこどもの能力の発揮を、母親が邪魔しているようにさえ思う。

 

語りかけは大切なんだろうけど、語りかけの内容や時期、時間までは誰も教えてくれない。

 

ちょうど今読んでる本に、次のように書いてあった。

友田明美著『子どもの脳を傷つける親たち』から

~同じものを一緒に見ること(共同注意)が大事なのです~

 

母親が沈黙を恐れるがの如く何でもかんでもこどもに語りかけるのではなく、こどもと同じ目線で何かを感じたとき、またはその時にこどもが何かを感じているとわかった時に語りかけるのが本当の「語りかけ」と言えるだろう。

 

因みに私は語りかけはあまりしなかったが、娘は話すのが小さい頃から上手だし、語彙も多い方だと思う。

息子も2歳になったばかりだが、しゃべるしゃべる。

シャワーのように言葉を浴びせなくても、こどもの言語力は伸びていく。

 

こどもには、いつでも何でも語りかければいいわけではなく、適切な時に適切な言葉をかけていかなければならない。

とても難しいけれど、大切なことだと思う。

 

 

 

守るもの

私も「じゃあ辞めてやるよ!」なんて、仕事を辞めたこともある。

だから貴乃花親方の気持ちもわかる。

 

でも今回のやり方はまずかったし、周りの人に迷惑をかけすぎた。

 

圧力やいじめみたいなことも多分にあったんだと思う。

もうずっと前からのいろいろが積もった上に、反逆しようにも上手くいかなくて、なんとかしないと自分の気持ちが収まらなかったんだろう。

 

私が今回の引退がまずかったと思う理由は一つ。

弟子たちを犠牲にしている点。

 

人には何かの集団に属する以上、そこで気に入らないことや、どうしても受け入れられないことも起こると思う。

 

自分一人だったらいつでも「辞めてやる!」って辞めたらいいと思うし、その方が周りに媚びへつらって生きるよりかっこいいような気もする。

 

でも弟子がいる以上、それは押さえないといけないと思う。

弟子は我が子同然と言ってたよね。

親だったら我が子のために、嫌いな人間に頭を下げたり、怒りたいときにも笑ったりできるのではないだろうか。

 

今回の貴乃花は「弟子のため」と言いながら、そこには自分の想いを貫徹することだけが大事だったように見えた。

 

私は4月からまた学校で働く。

独身の時に講師をしてた以来だから、5年ぶりぐらい。

もちろんその時は人の親ではなかった。

だから管理職に食って掛かったり、不遜な態度を取ったこともあった。

そんな私だが今度はそうは行かないだろう。

守るものができた。

 

見る目、聞く耳

若くて容姿が良い俳優をいまいち信用していない。

俳優として本当に力があるからテレビや映画に出てるのか、容姿のおかげで出られてるのかわからないからだ。

 

みんな最初は容姿から始まるのかもしれない。

でも力をつけていく俳優と、いつまでも自分の容姿に頼ってるだけで上手くならない俳優がいると思う。

 

小栗旬という俳優。

私は「花より男子」で少し見たことがある。

それと「コナン」も見たような気がする。

そのぐらいしか知らなかった。

というより「どうせカッコいいだけでしょ」みたいに敬遠していたようなところもある。

 

私はイケメンの下手な演技は嫌いだ。

 

今日、映画「響‐HIBIKI‐」を観てきた。

平手友梨奈の初主演作を観ておかなければ!という使命感で映画館へ向かった。

この映画が彼女が今から通っていく新しい道のスタート地点になると思う。

 

その彼女のスタートは「やっぱりやってくれた」という期待通りで私はうれしかった。

 

映画上映中、そんなふうに目を細めて彼女を見つめていた私だったが、いつのまにか私の目線は違う人物へとシフトしていった。

小栗旬へと。

 

主人公の女子高生、鮎喰響は初投稿作が芥川賞直木賞をW受賞するような天才。

小栗旬が演じるのは芥川賞に3度ノミネートされるも落選している売れてるとは言えない小説家。

 

この二人をコントラストに描くことで、より響という少女が異才を放ってるのが際立ってくるし、より説得力を持ってくる。

 

この映画で小栗旬の出演時間は何分あったのだろうか。

あまり長くはないその出演時間だけで、演じる小説家の今までや背負ってるもの、生活や想い、いろいろなものがよく感じ取れたのは私だけだろうか。

 

パソコンに向かう彼の目やタイプするその手の動き、本屋で自分の本を探す足取り、響に会ったときの髪を振り乱す様子…。

全身で演じる彼の凄みに圧倒されてしまった。

本当に素晴らしかった。

 

大して観もせずに「ただのイケメンでしょ」なんて思っていた自分を叱ってやりたいぐらいだ。 

そして小栗旬さん、ごめんなさい。

 

何でも、見もせず知りもせず批判するのはダメですね。

 

以前も一声聴いて「これはダメだわ。売れない」と批判していた歌手がいた。

今から20年前ぐらい。

彼のデビュー曲でその声を聞いたとき…「かわいそう。声に個性が無いし、歌も下手。売れないわ」と思った。

 

その歌手は

 

福山雅治さん。

 

今では超実力派シンガーソングライター。

 

すみません。

私は本当に見る目も聞く耳もない無いですわ。

眠れない!

私は授業中に寝たことがない。

どんなに退屈な授業でも寝たことがない。

でも「授業中に寝てはいけない」なんて真面目に思ってるわけではない。

「退屈だし寝るか~」と思っても眠れないのだ。

授業中に寝てるクラスメイトの真似をして、机に伏せてみても…眠れない。

 

大学時代は早朝に喫茶店で、夜は居酒屋でバイトをしていた。

毎日阪急電車で通っていた。

早朝などは結構座席が空いてたので座れたりもして、眠ってる人もいっぱいいたが、私は眠れない。

 

石川と関西を往き来するとき、「雷鳥」(今は「サンダーバード」)によく乗った。

片道2時間や2時間半、電車に揺られることになる。

周りの人はほとんど寝ている。

私も寝たい。

でも眠れない。

 

夜行バスで大阪から宮城まで行ったことがある。

結構長い時間、バスに乗っていた。

でも眠れない。

 

イタリアに飛行機で行ったことがある。

途中エジプトに降りたりして、イタリアに着くまでに10時間ぐらいかかった。

その間も眠れない。

 

でも夜は眠れる。

たぶんよく眠れる方だと思う。

寝つきもそんなに悪くないと思う。

 

なんで夜 布団に入らないと眠れないのかよくわからない。

でもたぶん交感神経と副交感神経というのが関係してるのかも。

よくわからないけど、私は朝起きたら 夜寝るまで、結構な緊張状態にいるのかもしれない。

 

5歳になる娘も保育園のお昼寝の時間は、ほとんど寝てないそうだ。

だからいつも寝たふりをしていると言う。

 

時々薄目を開けて、保育士さんたちの様子を見ているらしい。

「今日、先生がお昼寝のとき、チョコレート食べてた」とか

「○○先生、ディズニーランドに行ってきたんだって。だってお昼寝の時間にお土産配ってた」とか教えてくれる。

 

みんなが寝てる時というのは寝てても大丈夫な時ということで、そんなに大事なことも起こらないし、得をするわけでもないし、起きてても授業は退屈だし、移動中眠れなければ疲れるだけだし、せいぜい保育士さんがチョコを食べてたという情報ぐらいしか得られない。

あまり良いことはないなと私なんかは思っている。

 

でもいつも眠くてどこでも眠ってしまう人は、私のような交感神経優位な人間を羨ましく思うのだろうか。