速さか協調か
昨晩から私は悩んでいる。
夕食の時に娘が話してくれたことについて悩んでいる。
娘が話した内容はこうだ。
「運動会の玉転がしで私、Aくんを置いて行ってしまう…」
どういうことか詳しく聞いてみると、
・娘はAくんとペアで玉を転がすこと。
・Aくんは走るのが遅いこと。
・娘は黄色チーム。練習ではいつも赤チームと接戦で一位の座を争っている。
娘はそれらを教えてくれた後、こう言った。
「Aくんを置いて行ってもいい?私、速く走りたい!」
私は何と答えていいか悩んでしまった。
教員として生徒に答えるなら悩まなかったかもしれない。
でも我が子からのこの問いかけには悩んでしまった。
なぜ悩んだか?
まず母親として「娘の速く走りたい」気持ちを叶えてあげたいな…。と思った。
でもそのせいでAくんを置いて行ってしまうのは違うような気がするな…。
ではAくんを待ってゆっくり走ったら良いかも。
でも玉転がしは速さを競う競技だし…。
一部始終を聞いていた夫が娘に「かけっこでがんばればいいよ」と言った。
一瞬私も「そうだ!玉転がしは速く走れなくても、かけっこで全速力で走ればいい!」と思った。
でもよく考えてみると、それだと「アンラッキーなときは諦めてもいい」と教育することになりやしないかと思った。
生きていればいろんな時や場所でアンラッキーにぶつかる。
例えば、貧乏だ、家族や家に問題がある、学校が悪環境、会社がひどいなど いろいろ。
最近の私事では
教員採用試験の面接官がいかにも厳しそうな人だったことはアンラッキーだった。
私の面接官がその人だったせいで私は不合格かもしれない。
あらゆる場面でアンラッキーってあるけど、それを克服したり、その悪環境でうまく対処していくことが人間の成長には不可欠のような気がする。
もし娘とAくんが「もっと速く走るためにどうしたら良いか」と意見を出しあったり、いろいろ試行錯誤して練習できたりするのなら、結果はどうであれそのプロセスは有意義だと思う。
でもそれがなくてただ玉転がしではAくんに合わせてゆっくり走ることは娘にとって良いことなのだろうか?
もちろん人と歩調を合わせることも必要だし、大人になっていく過程でそれを理解していくのは大切だ。
でも5歳のこどもに速く走ることと、ペアと合わせること両方を求めるのは難しい気がする。
娘は混乱しているし、私は悩んでいる。