テレビと耳とDVD
テレビは観ない。
ほとんど。
私が観ないから、娘や息子もほとんど観ない。
ヴァイオリニストの友人がいる。
彼女はヴァイオリンの名門大学院で学んだ。
その彼女から「大学院に進んですぐ教授からテレビを観ないように指導された」と聞いた。
理由は耳が悪くなってしまうからだそうだ。
テレビの音は多重でそれを毎日のように聞いていると弊害があるらしい。
それを聞いてから私も真似してテレビは極力観ないことにした。
少しすると耳が洗練されていくような感覚をおぼえた。
耳が聴きたいものを自ら選んで聴いているような感じ。
娘には一歳になるまで一切テレビの音を聞かせなかった。
一歳からは少しずつ教育テレビなどは見せていた。一日30分ぐらい。
今でもテレビは観ないが借りてきたDVDは観ている。
これにもこだわりがあって、テレビのように流されるものを受動的に見るのではなく、自分で見たいと思ったものを探し能動的に観るのを大事にしている。
最近はDVDを観る時間が増えてきてしまった。
なるべく外遊びなどに誘って、テレビの前に座ってる時間を少なくしようとしてるけどなかなか難しい。
やっぱりDVDおもしろいよね。
大人も感心してしまう豊かな作品がいっぱい。
特に最近のアニメの主題歌にはびっくり。
コード進行もすごく凝ってるし、転調もあったり音大卒の私も歌うのが難しい…。
でも娘は何回か聞いただけで、すぐ歌えてる!
こどもの耳の力ってすごい!
私のオキシトシンが…
今日、幼児とママが利用する施設の方と話をする機会があった。
その方が、あるママを先日怒らせてしまった話をしてくれた。
あるママに施設の利用方法について柔らかく説明しただけなのに、すごく怒ってしまい「もうここには来ない!」と言って帰ってしまったそうだ。
すぐに「これはホルモンバランスのせいだな」と思った。
出産前後のママはホルモンのバランスを保つのが難しいようだ。
妊娠期間中に増えたエストロゲンというホルモンは出産と同時に激減してしまうし、こどもが0~2歳の期間にはオキシトシンが増えたり、出産前後のママのホルモン状態は変動が激しい。
こどもが0歳~2歳の期間中ママに増えるオキシトシンが、ママに与える影響は2つあるそうだ。
ひとつは我が子への愛情を強めること。
そしてもうひとつは、他者への攻撃性を強めること。
きっと些細なことで立腹し施設を飛び出したママにもこのオキシトシンの影響があったんだと思う。
そういう私も怒ったことがある。
息子が一歳になる少し前だったと思う。
私の住む市では毎月2回無料で乳幼児の身長体重を測って育児に関する様々な相談を受け付けてくれるサービスがある。
私も体重を測りに行って母子手帳に記入してもらうのが毎月のルーティンになっていた。
そうして体重を測りに行ったある日、息子の体重の増加が少ないときがあった。
でも息子は大きめで生まれたし、そのときも体重の増加がいまいちでも、図った体重値は平均より上だった。
私は「ちょっと増えなかったな。もう少し離乳食をがんばってみよ」ぐらいに考えて、家に帰った。
だがその日、施設から電話がかかってきた。
「息子さんの体重増加が少なかったので、また体重を測りに来て栄養士に相談を受けてください」とのことだった。
私はその電話の内容にすごく腹が立った。
理由は3つある。
①体重測定は強制されるものではないこと。
②ちょっと増加が少なくても痩せているわけではないこと。
③職員の言い方が私を責めているように感じたこと。
なかでも③の職員の言い方に関しては、私がネグレクト(育児放棄)をしてると疑われているように感じた。
私は怒り心頭で翌日「昨日電話してきた職員に話がある」と施設に乗り込んだ。
電話してきた職員は不在で、別の職員が話を聞いてくれた。
電話してきた職員が新人であること、ネグレクトを疑う気持ちなんて微塵も無かったことなど説明を受けると、なんだかスッキリして怒りもおさまった。
そして後日には家にまで来て謝罪してくれた。
今思い返してみると、あのときなぜあんなに怒ったのか自分でもわからない。
職員は息子のことを素直に心配してくれてたような気もする。
なんだか私のオキシトシンがいろんな人を巻き込んでしまったようで申し訳ない。
ばいきんまんのあなた
息子にリクエストされて、「 アンパンマン」の登場キャラクターの声色を真似することがある。
アンパンマンやしょくぱんまんは中性的で難しいし、ドキンちゃんの小悪魔的な感じを出すのも難しい。
比較的簡単に似せられるのはチーズだろうか。
ではばいきんまんはどうか?
ばいきんまんの声はすごく特徴的なので、実は真似しやすいと思う。
一歳の息子も一歳なりにばいきんまんを真似できる。
でもばいきんまんの声色には大きな問題がある。
それは喉を痛めやすいということ。
ちょっと「ハヒフヘホー」とか「出たな お邪魔虫!」とかやってると、すぐに喉が痛くなってしまう。
私は音楽大学で声楽を学んだ。
卒業後は演奏の仕事をしていたこともあり、
一日20曲ぐらい歌うこともあった。
それを続けていると急に声が出にくくなってしまうことがあり、代役を立てたりして周りに迷惑をかけることも何回かあった。
声の使いすぎと無理な発声が原因だった。
そこで私はなるべくいつもベストな声の状態を保つためにいろいろな工夫をした。
毎日24時間、自分の声と喉のことを考えているような生活だ。
・寝るときはマスクをしてのどにタオルを巻く。
・加湿器も忘れない。
・外出するときはもちろんいつもマスク。
・喉に良いと言われている飲み物をいつも携帯して飲む。
・なるべくしゃべらない。
・しゃべらなきゃいけないときは喉に負担をかけないように、裏声で小さくしゃべる。
・お酒は飲まない。
・たばこの煙はダッシュで避ける
など。
すごく神経質になっていたし、今思い返してみても楽な生活ではなかったと思う。
そこでばいきんまんの声をされている中尾隆聖さんに思いを馳せる。
ばいきんまんの声は喉を閉めるようにして出さなきゃいけない。
そしてそれをルーティンとしてこなしていらっしゃる。
さぞかしそこには工夫や努力、我慢や根性…いろいろな労力が必要だと推測される。
中尾隆聖さんはお会いしたこともなければ、動画を見たこともない。
写真を見たことはある程度で、どんな方なのか全く知らないのだが、ばいきんまんの声をお仕事にされているその背景を想像しただけで頭が下がる思いがする。
速さか協調か
昨晩から私は悩んでいる。
夕食の時に娘が話してくれたことについて悩んでいる。
娘が話した内容はこうだ。
「運動会の玉転がしで私、Aくんを置いて行ってしまう…」
どういうことか詳しく聞いてみると、
・娘はAくんとペアで玉を転がすこと。
・Aくんは走るのが遅いこと。
・娘は黄色チーム。練習ではいつも赤チームと接戦で一位の座を争っている。
娘はそれらを教えてくれた後、こう言った。
「Aくんを置いて行ってもいい?私、速く走りたい!」
私は何と答えていいか悩んでしまった。
教員として生徒に答えるなら悩まなかったかもしれない。
でも我が子からのこの問いかけには悩んでしまった。
なぜ悩んだか?
まず母親として「娘の速く走りたい」気持ちを叶えてあげたいな…。と思った。
でもそのせいでAくんを置いて行ってしまうのは違うような気がするな…。
ではAくんを待ってゆっくり走ったら良いかも。
でも玉転がしは速さを競う競技だし…。
一部始終を聞いていた夫が娘に「かけっこでがんばればいいよ」と言った。
一瞬私も「そうだ!玉転がしは速く走れなくても、かけっこで全速力で走ればいい!」と思った。
でもよく考えてみると、それだと「アンラッキーなときは諦めてもいい」と教育することになりやしないかと思った。
生きていればいろんな時や場所でアンラッキーにぶつかる。
例えば、貧乏だ、家族や家に問題がある、学校が悪環境、会社がひどいなど いろいろ。
最近の私事では
教員採用試験の面接官がいかにも厳しそうな人だったことはアンラッキーだった。
私の面接官がその人だったせいで私は不合格かもしれない。
あらゆる場面でアンラッキーってあるけど、それを克服したり、その悪環境でうまく対処していくことが人間の成長には不可欠のような気がする。
もし娘とAくんが「もっと速く走るためにどうしたら良いか」と意見を出しあったり、いろいろ試行錯誤して練習できたりするのなら、結果はどうであれそのプロセスは有意義だと思う。
でもそれがなくてただ玉転がしではAくんに合わせてゆっくり走ることは娘にとって良いことなのだろうか?
もちろん人と歩調を合わせることも必要だし、大人になっていく過程でそれを理解していくのは大切だ。
でも5歳のこどもに速く走ることと、ペアと合わせること両方を求めるのは難しい気がする。
娘は混乱しているし、私は悩んでいる。
読み聞かせ
今日は「読み聞かせ」について。
娘が今、5歳。
まだ目も開かない生まれたてみたいな頃から毎日絵本の読み聞かせをしてきた。
最近は娘の方から「読んで」と言ってくるようになったので、それを読んでやっている。
するとそれを見て2歳になる息子も自分の好きな本を読んで欲しそうに持ってくるようになった。
娘が赤ちゃんの頃は、「お風呂上がりに5冊」と決めて。
今は、一日一冊だったり、一日5冊だったり、もっと多かったり。
ざっと計算して2000回ぐらいは読み聞かせをしてることになる。
でも、いつも読み方って「これでいいのかな?」と思いながら読んでいる。
どういうことかと言うと、「淡々と」読んだ方が良いのか、「感情的に」読んだ方が良いのかということ。
読み聞かせについて書かれてる本にもたまに目を通すが、「淡々と読んだ方が良い」と書かれてるものもいくつかあった。
理由は「読み聞かせをしているお母さんが怖い動物やおばけなどになりきりすぎると、こどもがお母さんがその動物やおばけになってしまったと錯覚してこわがってしまう」とか「なりきると主観が入りすぎて、聞いてる方の想像を妨げる」とかだった気がする。
「なるほどねぇ」と思って「淡々と」読んでいた時期もあった。
が、どうしても私の性格上、なりきらないと気が済まないところがあって、読んでいるうちに段々と声を作ったり、歌ったり、ジェスチャーをつけたりしてしまう。
こども達は喜んでいるときもあれば、しらーっとしているときもある。
いつも喜んでくれたら「これでいいのかも」と思うんだけど、しらーっとされると「やっぱり淡々と読んだ方がいいのかな」と思う。
世の中のお母さんたちは「淡々」か「感情的」かどっちなんだろう。
でも最近、「感情的」を続けよう!と思わせてくれる瞬間があった。
ディズニーのアニメ「アバローのプリンセス エレナ」を観ていた時。
主人公の女の子エレナとその妹が、亡くなったお母さんを懐かしむシーンで「お母さんって絵本を読んでくれるとき、登場人物になりきっていろんな声を出してたよね!」と言って笑い合うところがあった。
お母さんの思い出=おもしろい声→思い出し笑いってなんかいいなと思った。
読み聞かせの正解はわからない。
でも娘と息子が大きくなったときに「母ちゃんいつも変な声出しとったな」と話題になるかならないかわかんないけど、「淡々と」読んでるより思い出してもらえそうな気がして、だったら「感情的」の方がいいなと思うようになった。
あとドーラも。
かなり自分でもうまく言えてると思ってる。
ブログなんて…
「ブログなんてするもんか!」と思ってた私が「ブログやってみようかな…」と思った理由は、最近の日課にしてる読書に関係がある。
8月4日、教員採用試験のすべての日程を終えた。
昨年12月から始めていた試験勉強もそれと同時に終わった。
今回は今までと違い、専門教科と教育の時事を重点的に勉強した。
教育時事問題の勉強は必然的に法規や答申に目を通すことが多くなる。
その勉強は、子育てばかりで字を読む機会がめっきり減ってしまった私にまた字を読む習慣をつけてくれた。
8月4日、試験日程がすべて終わって試験勉強の必要がなくなると、なんだか無性に本を読みたくなった。
そこでその日からとりあえず本を読んでいる。
教育、子育て、学校 …。
今はそんな本を連鎖的に読んでるんだけど、いずれは小説なんかも読みたい。
今まで読んだ教師のハウツー本、自己啓発書、新書などの感想。
「なんか…みんな…ブログを薦めてる…」
偶然でしょうか?
読む本、読む本が「ブログをしよう!」と書いてある。
それらを読んで最初は「私はやらんし!」だったのが、「なんでみんなブログを薦めてるくるの?」→「ブログっていいのかな?」→「こういう使い方もあるのね」→「なんかおもしろそう」→「やってみる?」
みたいに変わってきました。
で、今、初のブログを書いてます。
ブログって日記みたいなものでしょう?
それにしても、私って書くと長くなってしまうね…。反省。
もっと簡潔に書けるようにしましょう。
読んだ本の感想、日々の想い、教育や子育てに関して私が感じてることなどを書いていけたらと思います。
一日目はこれにて。